kirakira*melancholin

キラキラメランコリン

ブランド名:
kirakira*melancholin - キラキラメランコリン

【思春期に感じた‘キラキラ’と‘メランコリー’をあなたへ】 北海道の風景から影響を受けて作品作りをしています。どこか切なくて懐かしい思春期の記憶をアクセサリーにとじこめました。

作品

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ブログ

女に生まれてよかったと思うことは、女の子に、気軽に、「大好き」と言えること。そして、社交辞令であっても「わたしも」と返してもらえること。私が男だったらそうはいかないだろう。昔付き合っていた人に「君は恋愛はすぐ壊れるもので、友情は続くものを思っているけれど、それは違うと思う。」と言われた。そんなことは百も承知だったけれど、彼はあの時どういう意味でそんなこと言ったのかなぁとぼんやり考える。彼とは友達という関係に戻れたわけではないが、もし戻れていたとしても、「大好き」とはもう二度と言えなかっただろう。だから友達のまま「大好き」と言える女の友情は、私にとって恋愛よりも奥深く、且つあけすけで、とても大切なものなのだ。きっと「来るもの拒まず、去る者追わず」が大人のコミュニケーションにおいて基本的なルール。そうはわかっていても、女の子たちは猫のようにいろんな世界を見に行ってしまう。犬のように鎖につないでおくことはできない。そのことが時々とても寂しい。だからずっと家を空けてあたためて待っていたけれど、気づいたら私も女。待つのはやめて、自由に幸せに過ごそうと思うの。*わたしは、どんどんたくましくなって、今までとまるで違う価値観を、最近立て続けに手に入れた。というよりは、たくさん集めたピースがはまったって感じかな。これまで培ってきたものをきちんと小脇に抱えたまま、折り返し。バージョンアップの30代を過ごします。幸せそうな、自分、じゃなくて本当に幸せな自分を取り戻す。わたしは、わたしのライトハウスキーパーになる。 [...]
2017年4月29日(土)
Source kirakira*melancholin
「山田孝之のカンヌ映画祭」というドラマをを見ている。パルムドールを2回受賞した脚本家の人が、「ハリウッドが嫌いなんですよ、カンヌの人たちは。憎悪してる。だから不親切に作る。説明したり、お客さんにサービスをしない。お客さんにサービスして整理しちゃうとエンターテイメント。」と言っていて。いろんなことを思い出した。大学の時、映画を作るゼミに入っていた。先生は映画界では割とすごい人だったらしいのだけど、わたしは何度見ても作品の意味がわからなかった。ゼミの仲間や有名な監督さんが、先生の作品を褒めれば褒めるほど、どんどんどんどん孤独になった。バカにされてる気がした。でも、わからないものはわからない。わからないということは不安を呼ぶ。説明してくれたらわかったのかな。そうするとアート的映画に意味はなくなるのかな。映画監督はきっと芸術家なんだなと思う。そのせいなのか今もずっとアートと呼ばれるものにコンプレックスがある。そのくせ、わかりやすいだけのものは面白くないと思っていた。わたしの持つ感情も経験した事象も、一言で言えるほど簡単なわけない。簡単だったらこんなに苦しまないはずだもの。「普通の人」に説明すると、「ごめwちょっとわからないww」って言われた。それでも簡略化すると、伝えたいこととはズレていくからできない、というかしたくない。ディテールにこだわって、説明しようと言葉が増えていく。反比例して人は去っていく。孤独だった。いつも。どこにも入れない気がした。自分を特別視するなとも何度も言われたけど、たくさんの人の中で孤独なら、1人でいて寂しい方がよっぽどマシだと思った。テレビの中で先程の脚本家が、こう続ける。「みんな大喜利が好きなんですよ、日本は。みんなが同じことを知ってて、同じ経験をしてて、同じ価値観を共有してるから小さな価値観の差が楽しいっていうゲームですよね。」もしみんながそうならば、わたしもそうだよ。だからその「みんな」の中にいたい。内輪ウケでいい。共有していたい。安心したい。不親切で、わがままで、世界中の誰にも必要とされなくても生まれるアート。わかりやすく、かわいく、みんなの笑顔をお金を生むエンターテイメント。どちらでもない「みんな」へ。ここにわたしもいるよ、と叫んでる。 [...]
2017年1月25日(水)
Source kirakira*melancholin
今日は診察日だった。「作ることを、思い切って休むことにしたんです。」と切り出した私に、いつものように先生は優しくうなずいてくれた。「まぁ、周りの人たちは私は浮き沈みが激しいってことをわかってくれているとは思いますが、正直『またか』って思われる気もしています。」と自嘲気味に笑うと、先生も少し笑って、いやいや、と首を振った。「浮き沈みのない人間など、いないよ。」先生は後ろで記録係をしていた看護師さんに声をかけて雑紙をもらうと、左から右に伸びる矢印を2本縦に並べて書いた。上の矢印には大きな丘と窪地が一つずつ、下の矢印には忙しなく上下する幅の狭い波形を付け足す。「このように年単位で緩やかに上昇と下降を繰り返す人間もいれば、細かく細かく刻みながら進む人間もいる。その波の中で、人はみんな生きている。だから、それは普通ですよ。大丈夫です。」「そうですよね。でもどんどん置いて行かれる気がして・・」自信がない時ほど、笑ってしまう癖は相変わらず抜けていない。言葉に潜む不安とは裏腹に、へへへと苦笑いしていた。そんな私に、しっかりとした、しかし柔らかい声で先生は言った。「うん。置いて行ってもらいなさい。」そう言うと、先ほど書いた二本の波形付き矢印の下に、楕円を描く。「トラック競技だとします。ね?これ。よーいどんで走ってきて、あなたがここで疲れて休んだとします。そしたら置いて行ってもらいましょう。でも実際は、」私が仮に立ち止まったとする地点から、ペンはトラックをぐるりと回って戻ってきた。「ほら後ろからくるでしょ。置いて行かれてないよね。また向こうからやってきますよ。」「じゃあすーっと知らん顔してそこに混ざっちゃえば、周回遅れだってばれませんかね?」「ばれてもいいじゃない。周回遅れでいいの。」自分の浅ましさが漏れ出てしまって私は赤面した。先生は気づいていたのかいないのかわからないけれど、先ほどよりもより確信めいた口調で言い切った。「合流するまで呼吸を整えて足を休めて、みんながまたやってきたら走り出せばいい。」(堂々と)という言葉が透けて見えた。それは光のようだった。ずっとできなくて、憧れているのに避け続けてきた片鱗を見た気がして、ゆっくり反芻する。偽る必要はない。隠すことない。わたしは周回遅れ。これはまぎれもない事実。けれども、それを恥じることもない。恥じることは、ないんだ。わたしはいつも、わたしのほんとうがわからない。ほんとうなんてないと人は言う。ぜんぶほんとうだとも思う。生きてることに意味なんかない。それは真実だとも思う。ただ、少しだけきょう、いいでもない、わるいでもない、かっこ悪くも、かっこよくもあるわたしを、先生の言葉の中に見た。恥じる場所を間違えて、きっと生きてきたこと。これからでも、変えられるかもしれないこと。きょうも、病院に行ってよかったと思った。みんなはすごいと思う。作家仲間だけじゃない。友人も夫も知人も知らない人も。日常生活の中で、自分にはできないことが多い。比べたり、責めてしまうことも、またあると思う。だけど、走っている途中だから。死ぬまでずっと、走っている途中。何周遅れでも、またスタートラインに立つぞ。何年経っても、あの時やってよかったと思えるものを作るために。地下歩行空間に、北海道の市町村をPRする写真が貼ってあった。圧巻だったなぁ。わたしの故郷は、きれいだなぁと思った。(北海道全部ってことね)見せたい景色があった。一緒に見たい風景があった。共に行きたい場所がある。いままでと、これから。どちらもたいせつだから、わたしはそれを作品にできるようにいまはスタートラインの近くで、座っています。 [...]
2016年12月17日(土)
Source kirakira*melancholin
今日から師走だ。ずっとずっと深い海の中にいるようで、怖い。一時的なブームが去り、売り上げも“順調に”右肩下がりで、モチベーションをどこに持っていこうか悩んでいた。この前の検診で主治医にそのことを話したら、「ピカソの絵は誰も買わないでしょ?高いから。でもみんな見に行って、幸せな気持ちになるじゃない。手に取ってくれたら、覗き込んでくれたら、それだけであなたの作ったものには価値があるということだよ。」と言われた。わたしは今まで、年上の人にあまりご教授頂く機会もなかったし、というか自分から断ってきたので、なんというか、年の功の偉大さを感じた。ついでに今まで各所でささやかれてきた「ハンドメイドやアート作品の値段問題」のもやもやもばーん!って弾けてどこかに飛んで行った。さよーならー!誰かから見たらありふれた、当たり前のことかもしれない。そんなことも忘れてたのか、気づけなかったのかと。そうなんです。わたし。いつまでもそんなところで行ったり来たりしています。たぶん、中二病とか名前付けて自虐してたけど、生きるってそういうどうしようもないことを繰り返してちょっとずつ諦めたり閃いたりすることなのかもしれないし、いいんじゃないのこのままで。っつってね。主治医の言葉聞いてから、名古屋に行ったからさ。もはやひとつも売れなくてもいいって気持ちで望めた。やけくそってわけじゃないけど、もっと大事なことを、ちゃんとちゃんと逃さないようにって、思った。そしたらね、買ってくれた人がアイスダイバーのサーモの色を温めて透明にして見せに来てくれたり、隣のブースの人がわたしの商品の特徴を覚えて褒めてくれたり、素敵なブースを紹介してくれたり、北海道に行った時の話をしてくれる人がいたり、おぐらさんが遠くから来てくださったり、一緒に出てくれた妹夫婦がディスプレイをほんとに素敵にしてくれて、ああ、名古屋、来てよかったって思った。たくさんの方に買ってもらえることも嬉しい。おんなじように、買ってくれた人が一人でもやっぱり嬉しい。売れなくても話せたら嬉しい。わたしの作ったものが伝わったら嬉しい。全部嬉しかった。忘れちゃっても、思い出せるように、書いたからな、未来の私。忘れたら、読み返してくれよー。*いつからかとっても焦っていて、その癖空しくなって、この正体はなんなのか、ずっとわからないし、解決するのに躍起になっていた。やりたいこと、やるべきこと、向いていること、進むべき方向、自分の今の位置、技術、熱量、他人との差異、幸せって、わたしの幸せってなによって思ったけど、わかんないの。だからね、決めるのやめた。たくさん考えたけど、わたし自由が好きで、たぶん前世は風だったと思う。現世でかなりせき止められてるけど。ごめん・・・。休むとか、やるとか、やらないとか、決めるとか、そういうのを全部やめてその先に、ただ生きたその先に、何が待ってるか見に行く。今少しずつオーダーを作っています。本当に少しずつだけど、わたしのペースもわかって好きでいてくれる大切なお客様のために作るのは本当に嬉しい。わたしを選んでくれてありがとうございます。今まで「期待以上じゃなきゃ」って思ってたけど、いまさら背伸びしてどうなるんだろうって最近やっと気づいた。間に合う程度でいいと言って下さるなら「おことばにあまえて」ってのもこれからのわたしには必要なことかもしれません。ちゃんとしっかりできることを、できるぶんだけ。見誤るな、奢るな。わたしはちっぽけだ。比べても大きくはならない。でも、小さくもならないんだよ。最近友達に聞いて、ガツンと心に刻んだ言葉。「悩んでても、困ってないなら、悩んでてもいいんじゃない?」わたし、たぶん、悩むのが好きなんだね。へへ。決めないって言ったけど、来年の1月終わったら、夏の個展だけにすべてを注ぐつもりでいるので、しばらくイベントや販売はお休みになるかもしれません。悪いと思ってない。から、いつもみたいにあやまんないぞ!笑最高の空間にするための準備だから。じっくりねっとり←考えます。今から楽しみ。今はからっぽだけど、きっと大丈夫な気がしてる。徒然なるままに。ここまで読んでくれた人がいたら、あなたはわたしの神様です。ありがとう。 [...]
2016年12月01日(木)
Source kirakira*melancholin

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